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膨れ上がってる

ささくれた名盤などについてのメモ他

Cantiga De Longe

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Cantiga De Longe / Edu Lobo (1970)


ところで、頭が良くなると思って鯖缶を食べまくる行為そのものが己の頭の悪さを証明してしまうようで、人類が魚類に求める栄養素の付帯要素でしかないDHA様を必要以上に崇め奉る風潮への猜疑心が抑えきれません。

普段から魚しか食べないおっさんがいたとして、その人が魚しか食さない理由が「頭が良くなるらしいから」だったとしたら、近所では有名な変人またはかわいそうなとっつぁん坊やと称されるでしょうし、おっさんのその他の言動にすら知的センスを感じることができなくなるでしょう。

「おさかな天国」を始めとする漁業関係者の日々の営業努力を否定したい訳でもなんでもないんですが、普段から大海でほぼ魚ばかり食しているはずのシャチやアシカが人類が脅威を感じるペースで知能を向上させている実感を全く持てませんし、そもそも水族館のシャチやアシカに対する「賢い」という褒め言葉自体、それらが馬鹿の地平に立っていることを前提とした表現であることからして、鯖缶を食べれば頭が良くなるという結果の証明しにくい定理にすがる消費者の頭の悪さを見下すような小売業界の商態度が鼻についてしまうのです。

いずれにしても、僕は魚肉ソーセージをほぼ毎日食べているレベルのハードコアギョニッカーですが、当然頭が良くなっている実感はありませんし、むしろ魚肉を摂取するようになってからというもの、腎臓の結石が尿路に詰まる例のヤツを4年ぶりに再発させるわ、ボロアパートが水漏れして部屋中ビッシャビシャになるわ、左側だけベッドに沈みこむタイプの金縛りを体験しながらチャーハンを手づかみで食べる幻覚を見るわ、その後右肩の肩こりが収まらずに右手全体が痺れ続けているわ、もうてんやわんやです。


さ、そこでてんやわんやといえばEdu Loboなんですが、この人の密室的なてんやわんや感は100%、作曲能力と演奏能力に裏打ちされたものです。



ボサノヴァいいよね、ボッサ最高とソバージュ頭の主婦らがおしゃれなカフェで何も進展しない感想を語り合っていたとしても、そこで求められているボサノヴァ像は所詮BGMの域を逸してはおらず、BGMで流し聴くことが困難になるほどのこんな奇怪なボサノヴァを求めている訳ではありません。



Edu Loboも、別に最初からこんな圧迫面接さながらに風通しの悪い高速ボサノヴァを演奏しようとしていたとは思えず、とにかく女にモテようと努力した結果なぜか密室芸に表現をシフトさせていき、そのままてんやわんやの海から帰れなくなったのでしょう。

このアルバムでの白眉は間違いなく↓のZanzibarですが、パスコアルやモレイラといった奇人に囲まれたこのアルバムでの演奏こそ空間湿度の低さを感じられるものの、その後ソロで披露している演奏では一人にも関わらず歯に鯖の骨でも詰まったかのような閉塞感が全開で、なんだかこの人の暗黒の高校時代を勝手に想像させられます。





納豆が頭をよくするとテレビが放送すれば納豆を買いに走り、鯖缶が頭をよくするとテレビが放送すれば鯖缶を買いに走る。
ボサノヴァがおしゃれだと聞けばボサノヴァを聞いてみるし、カフェで難しいカタカナのコーヒーを飲む自分に陶酔する。
そんな私たちの行動原理さえ誰かの思惑に誘導されたもので、私たちに知識がないことを逆手に取られ悪意を持った誰かの掌の上で踊らされているだけのような気がしてきます。

スパゲティに鯖を入れるために鯖缶を購入する。カフェでボサノヴァを語るクソみたいな主婦がむかつくからEdu Loboを聴く。
本来はそれでいいし、掌の上で踊りたければ自発的に踊ったっていい。

そう、尿路結石の痛みで寝られない嵐の夜に、一人考えたのでした。


※Edu Loboの曲のうち、一番好きなのはKyrieです。これは絶対にぶれません。キリエー!

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Ommadawn

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Ommadawn / Mike Oldfield (1975)

そういえば先日、夜中に原因不明の頭痛にうなだれながら起こされ、よくよく冷静になってみるとなんだか吐き気がするような気もするし、一体こいつはなんだ、曹洞宗徒の家に生まれたのに日頃から道元の教えは釈迦の中道の悟りの精神と相反するのではないかだのと野毛の片隅でくだ巻いているバチでも当たったのかととりあえず家中を見回ったところ、原因はドメストでした。
野毛から泥酔状態で帰宅して後の就寝前、これも黒ずみのカビ野郎にとっての一種の修行だとユニットバスの便器の方にぶちまけておいたドメストでした。
これがもし道元の言う通り、兎にも角にもどんな時にでも座禅せねばならなんだら、揮発したドメストごと深呼吸して心頭を滅却しつつ脳細胞も次々と死滅、同時に吐瀉物を撒き散らしながら野たれ死んだ挙句、日頃の行いの悪さと道元への数々の暴言が祟って無事に成仏することも儘ならず、野毛の片隅あたりでサラリーマン状の地縛霊となり、東南アジア系の女性を片っ端から震え上がらせる灰色の日々を送っていたことでしょう。

ドメストから運よく生き延びたことで、道元の教えをやんわりと否定しつつ、また新たな徳を積んだような気分になったのでした。

ところで、年齢を重ねればドメストで死にかけることくらい誰もが当然経験しますし、「ドメストで死にかけること」自体を死ぬまでにしたい35000のことのうちの一つの項目として設定し、日々その達成を願いポジティブに生活するサラリーマンなどもはや珍しくもありません。

また、とかく時間に追われるサラリーマンは、スパゲティ(乾麺)の茹で時間が待てなくなる病気にも罹患しますよね。
これは現代に生きるサラリーマンの性だと、強くそう思うのです。
朧げな記憶では、10年ほど前には確かに茹で時間10分のスパゲティを好んで購入していたはずが、三十路を過ぎ少し経ったここ数年はもっぱら茹で時間2分のものしか買っていません。耐えられないのです。いや、道元ならそりゃ耐えられるでしょう、とにかくどんな時も座禅し続けられるのですから。しかし、残念ながら僕は道元ではなく、ただのサボテン好きのサラリーマンなのです。
この分だと、もう数年後には、禁断の茹で時間1分のサラダ用スパゲティに手を出してしまいそうで、僕は自分が怖いです。



さて、スパゲティだかパスタだかの話はどうでもいいんですが、オマドーンは、チューブラベルズで鮮烈にデビューしながらも映画「エクソシスト」のタイトル曲に抜擢されたことでただのサイコインスト野郎のイメージが定着してしまったマイク・オールドフィールドが、1975年に紆余曲折ありながらリリースした3rdアルバムで、中身は15分超の2曲で構成される抒情的かつとにかく長尺なブツです。
まさに道元が座禅して聴くにはもってこいのアルバムで、現代を生きるサラリーマン、特に現代社会の底辺の小銭をドブネズミのように漁って生きる僕のような下賤の者の対局に存在するかのようなそれですが、ケルト調かつしつこく同じフレーズが繰り返されつつ目まぐるしく展開するところが妙にせわしなくもあり、どういう訳か妙に聴きやすいのです。



はっきり言って、個人的にはプログレ音楽に偏見しか持っていないので、自分がこのようなプログレ然とした音楽を聴きやすいと感じてしまったことで、むしろプログレとかいうジャンルを強く疑っているし、ひいてはこのようなアルバムをプログレコーナーに並べてしまうディスクユニオンのドヤ顔な姿勢には疑問しかないのですが、やたらと技巧を見せつけながらもやたらと展開しまくる長尺の構成ですから、プログレと言われればプログレでしょうし、ノンプログレと言われればノンプログレでしょう。プログレでありノンプログレである、または、プログレでもなくノンプログレでもない。こういう中途半端で投げやりな考えこそが釈迦が悟った本来の中道の思想に近いような気がするし、別にそんなこともないような気もしますよね。むしろ、プログレをそこまで憎いと思ったこともなければディスクユニオンの販売姿勢に疑問を持ったこともないような気がしてくるし、遡ってそこまで道元に敵対心を持ったこともないような気もしてきます。

オマドーンを漠然とした表情で漠然と30分聴き続けることはさして難しいことではないのに、スパゲティのゆで時間10分は漠然と耐えられない気がする。矛盾しているのに現実に成立している事実、または事実であり矛盾すらしていない並行的な事象。

間違いないのは、スパゲティを茹でながらオマドーンを聴くと、スパゲティは確実に伸びるということ。

そして、伸びたスパゲティもまた、そこまで不味くもないという事実。

何が言いたかったのか全然わからなくなったので、中途半端ですがこれで終わります。さよなら。

Live At Royal Albert Hall 1971

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Live At Royal Albert Hall 1971 / The Byrds(2013)

ビートルズによりスタジオアルバムのおもしろさに開眼した身として、なんとなくライブアルバムに手をつけずらかったというのが正直なところで、というのも、世に言うライブアルバムの名盤というと、いかにも普通の眼鏡を掛け普通のチェックの服を着こんだ中年のおっさんが顔をしかめながらギターのチョーキングやトリルを繰り返し、目の輝きだけは少年のようでそれでいて外見はいかにも冴えない中年のおっさんが客席から「クラプトーン!」とか「エリックー!」とか叫んでいるようなものしか紹介されず、ずっと辟易してきました。
それは教祖と信者の関係でしかないからです。バンドのファン以外の人間が一聴していいなと思えるライブアルバムこそ本当におもしろいライブアルバムだと思うし、そうでなければ手の込んだスタジオアルバムを聴き続けている方が時間の有効活用と言えるのです。人間は遅かれ早かれあっさり死にますので。

そういう意味では、このアルバム、まったくのダークホース的存在でした。
前述の通り、僕はサイケ期バーズの「霧の8マイル」によりサイケ音楽の泥沼に引き摺り込まれたようなものであり、初期のミスターでタンブリンマンでディラン大好きなフォークロック期や、その後のロデオな恋人のカントリーロック期にあまり興味を示すこともなく、バーズのことなどほとんど忘れて諸国のサイケ音楽の掘削に20代のほとんどを費やし、気づいた時にはサイケ音楽に対する興味を無くしていました。正直、自分でもなにがなんだかよくわかりません。

ですから、このアルバムについても、後期バーズのライブアルバム?オリジナルメンバーなんてロジャー・マッギンしか残ってないんでしょ?ってのが聴く前の先入観であって、そういう風に穿った見方をしていたからこそ結果的にこのアルバムをより楽しめることになったと思っています。


オリジナルメンバーを次々と切り捨て、カントリーロック路線へと舵を切るきっかけとなったグラム・パーソンズすら切り離し、名うてのセッションミュージシャンで完全武装、完全なライブバンドへと変貌を遂げた後期バーズ。このやたらと音質の優れた音源は、リーダーであるマッギンの自宅に長年放置してあったテープから発掘されたもののようで、ごく最近に正規リリースされたものです。
音についてとやかく説明するより、「霧の8マイル」のオリジナルバージョンと当アルバムバージョンを聴き比べていただくとすごく話が早いんです。↓


オリジナルバージョン


当アルバムバージョン


どうでしょうか?
この曲をマッギンが創るにあたってジョン・コルトレーンからの多大な影響があったとのことですが、後期バーズにおけるマッギンはそんな蘊蓄を音で語る以前に大して何もやっていない
いかにも陰気でサイケな曲調から、2ndの頃の道を踏み外したストーンローゼズを思わせるような激しいブルーズ寄りのインプロへと変貌してしまって、マッギンはほとんどついていけていない

あまりの衝撃に、これだ!これこそライブアルバムの鑑だ!人間同士の幅の効かせ合いだ!ドラマツルギーだ!と思うとともに、自分中心に祀り上げられたかったはずのマッギンの思惑と自身の技術でのし上がりたいバンドの間に横たわるこの埋められない溝に興味をそそられたのです。全くしてやられた、何も期待していなかったのに、なんだこのおもしろさは、と。ざまあみろマッギン、と。

そして、そんなメンタル的な面は一度置いたとしても、このギターのクラレンス・ホワイトの隙の無さ、鉄壁のリズム隊。バーズという名のあるバンドの人気にあやかり、ともすれば主役すら食ってしまおうという心意気すら感じる熱量のある演奏。これこそブルーズとして健全だと思うし、結果として出てきた音の素晴らしさが雄弁に物語っているように思うのです。
そして、実はマッギンも、自分が歌う曲では頭の血管よ切れよと言わんばかりのテンションの高さ。その相乗効果の結果は、うん、まあ聴きゃわかります。
(本当はその後酔っ払い運転に轢かれて死ぬことになる天才クラレンス・ホワイトをここで称賛するつもりだったんですが、なんか疲れたのでやめます。まあ聴きゃわかります。)




このようなバンド体制なのでその後も長くは続かず、最終期にはマッギンが初期メンバーともう一つのバーズを立ち上げるという耄碌老人のような奇行にまで及び、バーズはめでたく解散したのでした。

そういえば、最近僕は腎結石になって衝撃波で破砕したんですが、すごく痛かったです。一応近況報告まで。

※ ちなみに、うわっ、ライブアルバムってすげえ!と開眼するきっかけとなったものは、ニューヨークの胡散臭いおっさんことビル・ラズウェルが世界のザキール・フセインと組んだTabla Beat Scienceの「Live in San Francisco at Stern Grove」です。世界ビックリ人間コンテスト(インプロヴィゼーション部門)のような音。ぜひ。

SAKHALIN ROCK

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SAKHALIN ROCK / OKI DUB AINU BAND (2010)

今は無きタワレコ横浜モアーズ店にて、仕事のストレスに突き動かされるようにジャケ買いしたところ、そのあまりの濃厚な音世界に畏れ慄いたことが記憶に新しい名盤。ジャケ買いすること自体すごく珍しいことなんですが、このアルバムからは何かみなぎる自信のようなものを感じました。
バンド名のとおり、アイヌの血を引くOKIさんを中心に、アイヌ楽器であるトンコリとレゲエ(ダブ)を調和させた独創性の高い音楽が展開されます。
参考になるかどうかわからないながら言い切りますが、個人的には喜納昌吉&チャンプルーズの1stと並ぶ国内民族音楽フュージョンロックの名盤だと思っています。


この表題曲のドラムの疾走感とアイヌ楽器であるトンコリのアルペジオ、1コードを基調とした展開は、不思議とEcho & The Bunuymenあたりのネオサイケを彷彿とさせるものです。
80年代初頭のニューウェーブの連中がパンク音楽に第3世界の音楽を取り入れることに夢中になったように、奴らから見るところの第3世界に存在するOKIさんが、同じく第3世界の音楽であるレゲエ(ダブ)を吸収し、そのどちらでもない音楽をアウトプットしてみせたことに同様の精神性を見出すことができるような気がします。アイヌ民族の反骨の歴史とパンク・レゲエなどのレベルミュージックが、このように見事に調和して着地することを果たして想像できたでしょうか。

ちなみにトンコリは5弦からなる弦楽器ですが、基本的には開放弦を両手で指弾きする代物らしく、ライブを観ていると曲間での毎度のチューニングが相当大変そうで、生まれついてのO型気質である僕などには到底扱える気がしません。
なお、OKIさんは独学で習得したというそのトンコリを「電化」しています。

この曲以外の曲は、重心が低くグルーヴ感の強いいわゆるところのダブ調の楽曲が多く、トンコリにアイヌの口琴「ムックリ」が合わさりコーラスがアイヌ民謡のリフレインを繰り返しながらもリズム隊は淡々とレゲエ仕様という非常に完成度の高いものです。アルバム作成への意気込みの強さを感じます。

余談ですが、OKIさんのライブを六本木のライブハウス「新世界」で観た際、あまりの衝撃に終演後も動けなかった僕らの間近にOKIさんがフラフラと歩いてきたため少し話してみたところ、PILのジャー・ウォブルのことを「あいつ」と呼ぶ気さくなおじさんでした。

また、数年前の朝霧ジャムにこのバンド目当てに参戦したにも関わらず、中央道でのトラックの事故のあおりで遅刻、泣くなく見逃すということがあり、駐車場までようやく辿り着いた時に青空に鳴り響いていたのが(…と書いていたところ、行きどころのない憤りが再燃してきたので筆を止めることにします。)


※最後に、喜納昌吉&チャンプルーズの中で最もEcho & The Bunnymenに近いと思われるこれもご一緒に

ジャイアントクラブ

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ジャイアントクラブ/ウリチパン郡(2008)

夜道を一人で歩いていたりして、突然、包丁片手に飛び出てきた暴漢に「2000年代後半にリリースされたアルバムの中からベストアルバムを3枚選べ!」と強い口調で問われれば、咄嗟に、このアルバムとSean lennonの『Friendly fire』を即答し、残り1枚を選びきれないまま痺れを切らした輩に刺殺されるような気がしてなりません。

奈良県が生んだ鬼才オオルタイチとウタモ夫妻を中心とした宅録ユニットとしてスタートしたウリチパン郡は、さらなる音楽表現を求め、2nd『ジャイアントクラブ』でバンド形態に発展、ワールドミュージックの殻を被った純日本的ポップ音楽を創りだしました。


ドラムに元Boredomsのドラマーである千住宗臣を迎えたことで、オオルタイチ持ち前のポップセンス、アコースティック楽器の耳障りの柔らかさ、精確かつなだれ込むようなリズムの3つが併存し、肉感的で色彩感の強い音楽表現となっています。それだけ主張の強い音楽だったこともあってか、彼らは2010年に活動を休止してしまったわけですが、休止直前のライブにおいては、骨組みだけで音を組み立てなおすようなタイトな演奏を見せていて、それはそれで非常に興味深いものでした。(ちなみにライブにおいては、Gt/Vo、Syn、Syn、Drという変則的な編成)

なお、現在はオオルタイチ+ウタモとして活動を続けており、ライブではウリチパン郡の曲の一部を聴くことができます。狂騒的なジャイアントクラブを経て、どこまでも優しく着地するような表現に移行したオオルタイチ+ウタモの音楽も、特に現代社会に疲れたあなたにおすすめです。

Oorutaichi + Ytamo_part1 from Masaki Yanagida on Vimeo.